~藤原美佐子さんのまちづくりにかける「志」や「理念」をいかに継ぐべきかを考えます~
藤原美佐子区議のHPです。 http://m-fujiwara.net/
藤原美佐子区議の「政策5本の柱」はこちらでご覧頂けます。 http://www.m-fujiwara.net/pillar.html
この度は、選挙でご支援・ご協力頂きました皆様に本当にお世話になり、ありがとうございました。
結果的に”惨敗”ということでお詫びの言葉もありません。
短い準備期間、スタッフ不足の中、皆様には無理をしてお手伝い,ご支援をしてくださったこと、心から有難く感謝の気持ちでいっぱいです。
皆様の温かさがあったので、厳しい選挙戦も戦い抜くことができました。
今回、まちづくり・建築紛争ゼロを前面に訴えましたが、この”惨敗”ぷりで4年後をどうしたら良いのか、どのように今後取り組んでいくのか、非常に難しいと感じています。
とは言え、「まちづくり」の”灯”を消すことはできません。
藤原さんから受け継いだ「まちづくり」の志と理念を、今後どのように伝えていくか、しっかりと今後のことを考えていきたいと思います。
皆様、本当に本当にありがとうございました。
(2019年4月22日)
「区議」の本来の仕事とは何か?
それは単に区民の声を聞くことでも、区民の声を区政や議会に届けることでもありません。
なぜなら、そうしたことは区民自身が「区民の声」を通じていくらでも届けられるからです。(※それ以外にも方法はあります)
もちろん、区民の中の「声なき声」を聞く努力、弱い立場を強いられ、声を上げられない(声にすら出来ない)区民の声の代弁者となることは大切ですが、それは「区議」でなくてもできること--。
「区議」には「区議」本来の仕事があり、それを認識せず疎かにしていては「二元代表制」としての民主主義は健全に機能しません。
第一に、区民の声、声なき声を背負って、しっかりと執行機関のチェック機能を果たすことです。
それには、「区議」自らの心の内に、正しいことが正しく行われているかどうかの「判断力」と、正しく行われていない場合に、そうであることに対する「義憤」のようなものがなければなりません。
笑顔で「チェック機能」を果たせるほど、執行機関の監視は楽なものでも容易なものでもありません。
「批判精神」も必要です。建設的な「批判精神」を持って微に入り細に入り執行機関をチェックしなくてはならないのです。
残念なことに、「義憤」のようなものや「批判精神」は、教えられて身に付くものではありません。
第二に、「区議」には政策立案能力(政策形成能力)と実行力(実現力)が求められます。
単に区民の声を聞くだけ、届けるだけでは、「区議」の仕事を果たしたことにはならないのです。
そして、こうした「区議」本来の仕事をするためには「粘り強さ」や「忍耐強さ」が欠かせないことは言うまでもありません。
ひとつのことに打ち込めない性格、極められない性格では、表面的に「区議」もどきの振る舞いはできても、「区議」本来の仕事など全く期待できないと言っていいでしょう。
飽きっぽい性格では、たとえ偶然が重なって「区議」になれたとしても、「区議」として満足な仕事は成し得ないと断言します。
政治家を志す人が、マックス・ヴェーバーの「職業としての政治」を読んだことがないなんてことは考えたくもありませんが、「政治とは、情熱と判断力の2つを駆使しながら、堅い岩に力を込めてわずかずつ穴を刳り貫いていく作業である」からです。
今の文京区政、区議会は、区長の”長期政権”によって多くの機能が”弛緩”しており、「区議」(全員ではありませんが…)の政策形成能力と実現力の欠如も相俟って、区民のための区政運営が損なわれてしまっているのではないかと、私は疑問を感じています。
有権者は立候補者に対して、「区議」本来の仕事ができる人であるかどうか厳しくチェックして投票しなければなりません。
自らの声を単に託すのではなく、自らの声を政策として実現してくれる候補が誰なのかを見極めて投票することが、文京区の未来を切り拓いていくのです。
わたしは藤原美佐子区議の”背中”を見てそう感じましたし(もしかするとわたしの想像が勝手に膨らんだだけかもしれませんが…)高次脳機能障害を患ってなお、わたしの応援に尽力してくださっている藤原区議の姿を見てそう思いました。
(2019年4月20日)
言い得て妙--。
藤原美佐子区議がその政策について説明されていた中で、ユニークな表現があり、今もわたしの心に根を張っています。
それは「目先の利益優先の一代限りの”焼き畑的”都市開発」ーー。
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今、小日向2丁目で起きていること、そして千石4丁目で起きていることも、規模の大小こそあれ、「目先の利益優先の一代限りの”焼き畑的”都市開発」と言ってもいいような気がしています。
地元区民と開発事業者の間で紛争に発展するきっかけは、まさに事業者における「目先の利益優先」であり、「一代限りの”焼き畑的”開発」にその本質を見て取れるかと思います。
逆に言えば、「目先の利益を優先」せず、中長期的視野で、地域全体の”利益”、持続可能なまちづくりを通じて得られる”利益”も含めて考えられる事業者こそ求められているのではないでしょうか。
建物を建てて、別の個人や会社に1棟売りして「後のことは知りません…」ではなく、地域とともに持続可能なまちづくりを考える事業者こそ、文京区に相応しい企業であるといえるのではないでしょうか。
文京区に相応しい都市開発の誘導策、まちづくりの誘導策があるとするなら、そうした優良事業者の進出を促すようなものであるべきでしょう。
文京区に相応しい新たな条例や要綱をつくることでしか、「目先の利益優先の一代限りの”焼き畑的”都市開発」を止めることはできないと、わたしは思っています。
(2019年4月19日)
文京区として相応しく、そして文京区が目指す「まちづくり」の方向性--。
藤原美佐子区議の支援者の方が、それに関連して以下のことを話しておられました。
「各自治体が人口増に躍起になっていて、子供を育てる環境を整備をせずに限られた人口の奪い合いになっている」
「ここは発想を変えて、良好な住環境を維持していくことで、緩やかな人口増を目指した方がいいのではないか」--。
わたしも全く同じ気持ちです。
「税収が増えるから」「都心3区に匹敵する大型開発を進めるから」という、あたかも”自己目的化”した「まちづくり」を進めるのではなく、文京区が育んできた、みどり豊かで閑静な住宅街を守りながら、しっかり子育て環境も整備する--。
結果として、緩やかに人口が増え、税収も増えていく。
文京区に相応しい発展、文京区が目指すべき方向性とは、そういったところにあるような気がしてなりません。
わたしは、そのためにも、しっかりとした「まちづくり基本条例」や「住環境条例」をつくり、誘導していく必要があると考えるのです。
文京区の持続的な発展という意味でも、そうしていくべきだと考えています。
(2019年4月18日)
「文京区にも『まちづくり基本条例』が必要です」と言うと、必ず、「開発事業者が文京区に来てくれなくなる」とか、「マンション開発が進まないと人口が増えず、税収が減る」「文京区にマンションが建てられないと、結局、他の区にマンションが建つことになり、区民を奪われ、税収も持っていかれてしまう」などと反対する人がいます。
確かに、「自由競争」や「競争原理」から言えばそうなのかもしれませんが、文京区の「まちづくり」を考える上で、本当にそう言えるのでしょうか?
わたしは非常に疑問に感じています。
藤原美佐子区議がこんなことを言っていました。
「これからは数や量で勝負したり、奪い合う時代ではないのだから、少ない”パイ”を本当に住民の幸福に資するように、うまく切り分けることを考える時代だと思うのです」--。
わたしも全く同感です。
文京区において、高層マンションの数や量で勝負する必要はないでしょう。
他の区と、マンション開発や区民を奪い合う時代でもないと思います。
文京区に相応しい「まちづくり」というものがあり、それは自然に、港区や中央区、千代田区とは違うはずです。
都心3区のような大型開発で競い合い、多くのマンション開発が進めば、人口も増え、税収も増えるかもしれませんが、それが本当に文京区民の幸福に資するかと言えば、わたしが逆のように感じます。
まして文京区が長年にわたり大切に育んできた、みどり多く閑静な住宅街が蝕まれるようであっては決してならないはずです。
(2019年4月17日)
昨日、わたしは、文京区議会選挙への立候補の届け出を済ませ、藤原美佐子区議と一緒に文京区を回りました。
藤原区議もマイクを手に取り、区民のみなさんに話しかけられたのですが、その中でとても印象に残った部分をご紹介します。
「文京区は今、人口が増えています。
これから数年は増え続けるようですが、文京区の弱点は増える人口を入れる”器”をどうするか、どういう町にしたいかというコンセプトがない、ということです。
高いビルがあるかと思えば、地下室マンションがある……
その隙間の日陰に住宅、しかも初めから日陰だったわけでなく、あとから周りにマンションが建ってしまって日陰になってしまった……
古い町だからといって、そんな”無法地帯”のような都市計画が当然のように行われている……
これを何とかしたいと思ったのが9年前です。
『ボーッとしてるんじゃないよ!』ってチコちゃんに叱られちゃいますが、本当にボーッとしていると、いつの間にか取り返しのつかない町になってしまいます」--
わたしが藤原区議から受け継ぐ、まちづくりの志と理念は、まさにこうした点にあります。
まだ間に合います。
今のうちに文京区に「まちづくり基本条例」や「住環境条例」を制定しておかないと、取り返しのつかないことになってしまうと、わたしも深く憂慮しています。
(2019年4月15日)
「守ろう!このまち 変えよう!議会」--。
これは藤原美佐子区議の政策の冒頭に出てくるスローガンです。
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私が藤原区議の志と理念を引き継ぐからではなく、そうでなかったとしても、私は全く同じようなスローガンを掲げていたことでしょう。
文京区の良好な住環境を守らなければならない…
そのためにも(それ以外のことでも)区議会を変えなければならない…
この2つの思いは、千石4丁目でまちづくりを進めていく中で、日増しに大きくなっていきました。
守ることの難しさ、変えることの難しさも分かっているつもりです。
ひとりではできないからこそ、みんなでみんなのまちづくりを進めていかなければならないと思っています。
(2019年4月13日)
「緑被率」という指標があります。
「全体の面積に対する緑で被われた土地の面積の比率」 を言います。
文京区では、「緑の基本計画」を平成11年(1999) 3月に策定し、その中で「緑地の保全と緑化の目標」を掲げ、「 緑の量」として以下の目標(概ね20年後(平成31年頃) の目標数値を設定しました。
○緑被率・・・ 文京区全体の面積に対する緑で被われた土地の面積の割合 16.0% → 17.0%
○一人当たりの公園面積・・・ 整備された公園の総面積を文京区の総人口で割った数値 3.2平方メートル/人 → 5.0平方メートル/人
○身近な公園の面積率・・・ 文京区全体の面積に対する住区基幹公園の総面積の割合 1.8% → 3.0%
このうち、「緑被率」については、第7次文京区緑地実態調査( 2012~13年にかけて)において18.1% になったとのことで、区も胸を張っているようです。( 少なくとも私にはそう映っています)
実は、私もこの「18.1%」を知った時、「良い傾向ね」 と思ったわけですが、藤原美佐子区議のご主人のサイト(http ://jsfmf.net/kokunai/ buntoshimidori/buntoshimidori. html)を見て驚きました。
この40年間で16.0%は過去最低であり、この間、17.4% や17.6%だった時期もあったのです。
そもそも、20年間で16.0%を17.0% に引き上げるという目標自体が低すぎるのではなかったか--。
私にはそう思えるのです。
過去40年間の最高は18.6%でしたから、18.1% がいくら当初の目標を上回ったとしても手放しで喜べる数値とは言 えません。
なぜ過去最高を上回る18.6%以上としなかったのか、 なぜ19.0%にしなかったのか、 私の中では目標設定自体に疑問符が付きます。(※ 熟議に熟議を重ね、
パブコメを募集した上での目標設定であったとは思いますが…)
まちづくりを進める上で「緑化」は大切な比重を占めますし、「 住環境」や「景観」を守る上でもとても重要でしょう。
意欲的な目標を掲げて、まさに「協働・協治」の精神で「緑化」 に取り組まなければならないのではないかと私は感じています。
(2019年4月12日)
とても重要な言葉なのに、英単語をカタカナで書いても、 なかなか心の奥にまですっと入ってこない言葉があります。
「インクルーシブ(inclusive)」 もそんな言葉のひとつではないでしょうか。
日本語では、「包摂的」とか「包括的」とか「包含的」 とか訳す場合が多いようですが、「inclusive of ~」が「~を含む」を意味するように、要は「含める」「 包み込む」といった概念を持ちます。
「インクルーシブ教育(またはインクルージョン教育」と言えば、 「人間の多様性の尊重等を強化し、 障害者が精神的および身体的な能力等を可能な最大限度まで発達さ せ、 自由な社会に効果的に参加することを可能にするという目的の下、 障害のある者と障害のない者が共に学ぶ仕組み」(
Wikipedia)を指します。
藤原美佐子区議がその政策のひとつとして、「女性、若者、 障がい者、高齢者がインクルーシブに働き、集い、社会参加」 を掲げていることには、私もとても共感しています。
なぜなら、それは「まちづくり」全般にも通じることであり、 個人的には「インクルーシブな”まちづくり”」 をもっと訴えてもいいのではないかとも考えます。
「インクルーシブ教育」を巡っては、「 同じ場にいることのみでは『インクルーシブ教育』と呼べない」 といった課題を指摘する声があることも知っています。
言葉だけがひとり歩きし、 形だけで中身が伴っていないのでは意味のないことは「 インクルーシブ教育」に限りません。
まちづくり、まちそだてを「インクルーシブ」 に進めていく上でも、「社会参加」を促す上でも、 その内容と中身が問われているのだと私は自分にも言い聞かせるよ うにしています。
(2019年4月10日)
「アメリカ・ファースト」「都民ファースト」「区民ファースト」 ・・・・(※「自分ファースト」 といったフレーズを批判的に使うこともあるようです)
ここ数年、国内外を問わず、「○○○○ファースト」 という言葉をよく聞きます。
しかし、私にはいまひとつしっくり来ないのです。
何かが足りない……
藤原美佐子区議の「政策」を読んでいて、はっと気づきました。
それは「区民目線のまちづくり」(※藤原区議の「政策」に「ディベロッパー目線から区民目線のまちづくりへ!」があります)
たとえば、「区民ファースト」といった場合、「区民が第一」 ということなんでしょうが、さらに1歩踏み込めば、それは「 区民目線」が大切なんだということに気付いたのです。
「区民ファースト」が私の心になかなか響かないのは、「 区民目線」が第一、「区民の気持ち」が第一、「 区民の思いや願い」 が第一であるとまで踏み込んで訴えていないところにあるように思 えます。
それは当然のことながら、「まちづくり」 を進めていく上でも極めて重要であり、それが「 区民の心に寄り添う」ことだと私は考えています。
(2019年4月9日)
藤原区議の支援者の方から、「関東タンポポ」についての話を頂きました。
「カントウタンポポは、私の記憶ではこの辺りの本来の土壌の特徴である弱酸性を好みます。
都市化が進むとコンクリートなどのせいで土壌がアルカリ性に変わります(豊洲市場の地下に溜まった水もアルカリ性でした…)。
それでカントウタンポポが負けて、逆にアルカリ性土壌で生育できるセイヨウタンポポが繁栄するということです。
ぜひとも在来種を守りたいですが、どうしたら良いのか、とても難しいです」--。
在来種と外来種のせめぎ合い、交雑種の問題、都市化の進展、そして土壌の問題へと、広がりました。
「生物多様性」とひとくちで言うのは簡単ですが、たった1種類の「関東タンポポ」を巡っても、一筋縄ではいきません。
ただ、そんな中でもただひとつ、”収穫”と思えるのは、”協働”というのはこうした情報交換を通じて始まるのかもしれないということです。
綿毛の付いたタンポポの種は風に乗って、いろいろなところに飛び、思いがけない地で花を咲かせます。
藤原区議のまちづくりにかける”志”や”理念”も、タンポポの種のように風に乗り、区内のいろいろな地域で根付き、花を咲かせることでしょう。
(2019年4月3日)
交雑種が席巻していくとしたら……。
やはり何らかの形で、在来種を守る手立てを講じなければならないと、わたしも思います。
文京区において、区内の「生物多様性」を維持し、守っていくのなら、区が責任を持って取り組んでいかなければなりません。
藤原区議も、「サンクチュアリというか、人が入れないようなところをつくる必要がある…」とおっしゃっていました。
「サンクチュアリ」は「聖域」「禁漁区」「鳥獣の保護区域」を意味しますが、在来種の植物を守る「保護区域」も含めて考える時代に入ってきているということでしょう。
文京区には小石川植物園がありますから、こうしたところに「植物園内”サンクチュアリ”」みたいなものをつくれば、守れるでしょうか…。
たまたま、文京区が「生物多様性地域戦略」(素案)をまとめたところだったので、ちょっと読んでみました。
「タンポポ」については、「公共施設のみどり」の項目の「生息する主な生きもの」のところに「セイヨウタンポポ」が載っているだけ…。
残念ながら、「関東タンポポ」はありませんでした。
(2019年3月30日)
在来種である「関東タンポポ」の話です。
わたしも昔から知ってはいましたが、藤原区議の話を聞くまで、最近の生態について詳しく知りませんでした。
藤原区議によれば、外来種との交雑種が席巻しているのだそうです。
3月15日の文京区議会本会議での勇退の挨拶で、藤原区議は次のような話をされていました。(※あくまで傍聴していた時のメモ書きを書き起こしたので正確ではないかもしれません)
「国家公務員共済組合(KKR)目白運動場、今の目白台運動公園が、私の区政への原点です。
春になると美しい桜並木に周囲を囲まれた野球場には、今はもはや見られませんが、関東タンポポなどの在来種が群生していました。
そこをディベロッパーに売却し、マンションを造成するというのです。
びっくりして、当時の煙山区長に陳情に行き、やはり当時の共産党の小竹都議の協力も得て、区立公園として保持したのです。
関東タンポポやツクシはどうなったでしょうか……」
そこで、改めて「関東タンポポ」をネット検索で調べてみました。
ある方が、「カントウタンポポは,関東周辺で見られる在来種のタンポポ。帰化種が増えて在来種が少なくなっているのは、程度の差こそあれ全国で見られる現象だが、その中でもカントウタンポポは,最も減少傾向が著しいと感じる」と綴っていました。
そうなのね……と思い、さらにし調べていくと、森林インストラクターという方のブログに辿り着き、そのページを最後まで読んでちょっと驚きました。
「カントウタンポポはセイヨウタンポポに駆逐されたのではなく、自然度の低い都会化によって追いやられたのでした」と書いていたからです。
藤原区議がおっしゃっていたことと、この森林インストラクターの方の言葉が、私の中で”線”でつながった感じがしました。
「住環境」と「生活環境」を守り抜くうえでも、藤原区議が関東タンポポに寄せる想いを大切にしたいと思いました。
※関東タンポポの話はまだまだ語り尽くせないので、明日以降も続けたいと思います。
(2019年3月27日)
文京区の2月定例議会が昨日、全日程を終了し、閉会しました。
最終日の最後には本会議場において、今期で勇退される区議のみなさんの挨拶がありました。
6人の区議の方々が今期で勇退されるとのことで、藤原区議もそのひとりでしたが、本会議場の傍聴席には、19時過ぎても支援者が残っていました。
議員歴25年などという方もいて、感慨無量だったようです。
藤原区議の挨拶の中では、初当選から現在に至るまでの会派の経緯や、藤原区議が2期8年で取り組んでこられた区政上の大きな課題などについて振り返られていました。
(わたしが政治団体「みんなでみんなのまちづくり」としたのは、藤原区議の最後の一人会派の名称「みんなの・まちづくり」を継承する意思を込めてのものです)
「文の京」自治基本条例の抜本的な見直しの必要性は、私の中で、藤原区議が公募委員として策定に携わられ、「私自身も今だにこれで良かったのかと疑問に思っています」という思いを継ぐものと位置付けています。
進行中の春日・後楽園駅前地区市街地再開発事業は、藤原区議ご自身が「これからもウォッチしていこうと思います」とおっしゃられており、わたしも頑張って藤原さんと一緒にウォッチしていきたいと思いました。
小石川2丁目の堀坂・六角坂マンションの訴訟は、最高裁で争われていますが、訴訟が決着したからといってそれで終わりではありません。
マンションをどうしていくか、まちづくりをどうしていくかはこの訴訟の終結で初めてスタート地点につくと言えます。
こうした数々の課題の解決を目指し、引き継ぐのは大変なことですが、多くの区民が力を合わせることで必ずや成し遂げられし、成し遂げていかなければならないと思いました。
藤原区議は今期で勇退されることとなりましたが、藤原区議との”二人三脚”、藤原区議の支援者のみなさんとの”多人多脚”の取り組みがこれからも続いていくことで、文京区がより良くなっていくのだと信じています。
(2019年3月15日)
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